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各駅探訪 (北陸焼山)

北陸焼山は一面二線と通過線一本を持つ駅で構内西側には車庫もあり、終日一時間に一本ほど鯖川方からの電車がここで終点となる。
通過線の分岐器は110km/hで通過できるものであり、快速列車はここを高速で通り抜ける。
駅のある一帯山に囲まれた小さな盆地となっており江戸初期には鯖川の裏畑と呼ばれ、長年年貢の取り立てから逃げていたという記録が残っている。江戸中期には日本海側に抜ける鯖川街道が整備され、宿場町として栄えた。なお駅名にある北陸という名はここの地名であり、北陸地方の「北陸」とは関係ない。
前述のとおり西側には車庫があるため西口が無く、出入り口は東口だけである。ロータリーはなく小さな路地が宿場町のあるほうへ導いてくれる。宿場町は駅から歩いて5分ほどの場所にある。
宿場町を通り抜ける鯖川街道は県道5号線として現在も太平洋側と日本海側を結ぶ重要な役割を果たしている。
今も宿場町の後には古い建物が並ぶ。その中で町の南にある大橋屋は江戸中期の宝暦2年に旅籠屋として開業した。以来街道を行く人の休み所となっている。現在は旅館として営業し、日帰りの温泉も楽しめる。

宿場町は南北に600m程あり、古い建物がかなり残っている。重要文化財がこの宿場町だけで26件あることからも良好な保存環境だということが分かる。一部の家屋は今はやりの古民家カフェとして営業しており、他にも古民家美容院という変わった店もある。
ただ、最近は古い家屋の空家化が進んでおり、焼山町は空き家を買い取り格安で住めるようにする取り組みをしている。

駅西側へは駅舎の南側にある地下道、または線路沿いを北へ100m程行った踏切を渡ることによって行ける。西側は今も水田が広がり、水の張られている時期は海か湖にいるようである。そして所々に家屋とそれを囲む樹木がまさに島のようにポツリポツリと存在する。
ちなみに12月の今でも水が張られている。理由は田んぼに住む生き物のため。
普通はコメの収穫した後は水を抜いたまま放置しておくが、これだと田んぼに住む生き物が田に産卵すると卵が干からびてしまう。そのためこの地区ではカエルやメダカなどの生き物の数が減っていた。2005年からこの一帯の農家が協力し、なるべく多くの田に水を張っておくことにした。これにより今ではメダカやカエル、それを餌にする鳥類や蛇の数も増えているという。また、冬の間に土の中で微生物が活動してくれることで土の質が良くなったり、害虫の数が減るなどといった農家側へのメリットも大きかったため、現在では焼山地区すべての田んぼが冬季も水を張っている。
この取り組みはほかの地域からも注目され、また雪をかぶった紫雲山が水面に映ることから撮影スポットにもなりつつある。

とりあえず今回の乗車リポートは北陸焼山までとし、この先は夏また乗車し、リポートする。

続く
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各駅探訪&乗車記 (角夜山~北陸焼山)

角夜山駅は一面二線の行き違い可能駅である。ホームに降りると古いレールを骨組みとして再利用した上屋が出迎えてくれた。行き先案内や駅名表も白く塗った木の板に墨らしきもので書かれたレトロなものである。
構内踏切を渡り、これまた古そうな木造駅舎に入ると中は結構新しくきれいであった。この駅は係員がいるので話を聞いてみると駅舎自体は鯖川駅舎完成の翌年、昭和9年に建てられたものだが、築60年を過ぎたころから電気系統の不具合や雨漏り等の老朽化が目立ちその都度応急手当てをしていたが、駅舎の耐震強度不足も明らかになった2009年に改装、耐震工事を行った。駅舎の外観はそのままに柱の補強、内装も大きく変えた。中は従来の木のぬくもりを活かすため暖色系の照明を使用、併設される待合室の半分を情報案内室として駅近くにある鯖川城址や有名な鯖川鉄器などの観光情報を提供している。
駅を出ると比較的大きなロータリーがあるが、バスやタクシーはなく、個人の乗用車が一台停まっているのみだった。まっすぐ進むと鍛治屋町と呼ばれる古い町並があり、その名の通り昔は鍛冶職人が多く住んでいた町だった。今も数軒残っており、そこで作られる鉄器は鯖川鉄器と呼ばれ、全国的に有名である。小さな通りをひとつ奥にはいると静かな古い木造住宅街になっている。大都市名護屋や祇府にも近く地価も安いためひそかに人気のある地区だと駅の係員も言っていた。
休日は観光客で少しにぎわうということだが、平日はとてものどかであった。駅に戻り次の電車を待つ。
1000系10時49分発桐山行きに乗り次の北陸焼山駅へと向かう。
進行方向右側には二川が流れる。しばらくすると鯖川が近づいてくる。二川はここから分かれている分流である。
電車は唸りを上げ山間部へと入っていく。流れる景色の色も一段と茶色くなり山の奥深くに入っていく。
しばらくすると近づいてきていた左右の山が再び遠くなり開けた土地になる。ここが鯖川の裏畑焼山地区だ。
潮巻鉄道もその山間部では貴重な広い土地を活かして車庫を置いている。
電車はやがて減速し、通過線を一本持つ一面三線の北陸焼山駅構内へと滑りこんだ。

西武鉄道 ニューレッドアロー新型

西武鉄道の看板特急ニューレッドアローに新型が登場します!

西武鉄道には西武池袋と西武秩父を結ぶ「ちちぶ」「むさし」、西武新宿と本川越を結ぶ「小江戸」

という3つの特急を運行していますが、現在の10000系列車は登場から20年たち、

特に台車や制御機器は廃車になった車両から流用、つまりお古なのでさらに老朽化が進んでいる

ため、平成25年度から順次新型50000系を投入するということです。

名称は「ニューレッドアローnext」。

車体はアルミニウム合金製で、A-train規格を採用。

前面に貫通扉を設置し東京メトロにも直通できるしようとなっています。

これにより直通運転を開始した東急東横線にも乗り入れることができます。現時点で定期直通

運転は予定されていませんが、臨時で運転する予定はあるそうです。

車内は全席充電用コンセントを配備。通勤時の利用がさらに便利になります。

さらに特筆されるのはスーパーシートの採用。

現在のレッドアロー号は全車モノクラス編成ですが、50000系は秩父寄り先頭車の1号車を

ハイグレード車両にします。車内は2+1の座席配置、広いシートピッチ等、

より上質な旅を提供できるようになります。

既存の10000系は平成27年(2015年)までには置き換えられるということです。


イメージ図

redarrow-next 1



すみませんもちろんウソです(^_^;)ご容赦を(笑)

でもそろそろ新しい車両が登場してもおかしくはないのでは・・・?

外資のせいでひょっとしたら西武秩父線の廃止もあり得るから新型はもうしばらく

様子を見るという状態なのでしょうかね。

1000系更新改造について

潮巻鉄道株式会社は5月6日、当線で活躍している1000系に更新工事と短編成化改造を行うと発表した。
1000系は登場から25年近くたっており、更新工事の必要性が出てきている。そのため潮巻鉄道は1000系車両すべてに制御装置のVVVF化や補助電源のSIV化などといった内容の更新改造を実施することとした。また、昼間時間帯の輸送力適正化のため6両固定編成だったものを4両と2両に分け、昼間は4両(一部区間・時間帯は2両)で運転することにした。これに伴い付随車であった3・4号車を先頭車化、電動車化する工事も行う。この工事を最初に受ける編成はG5編成で出場は今年下旬になるという。工事のペースは1年で5編成程度と見込んでおり、工事は豊島車輌豊国製作所に委託する。
4・2両編成を分割併合するダイヤが組まれるのは半分の編成の工事が終了してからで分割が見られるようになるダイヤ改正は当分先となる。
また、4月から運転を開始している2000系A1編成は6両編成だが今後増備する2000系は4・2両の分割可能な形で製造するということで500系の置き換えは2000系が担うことも公式に発表された。なお、A1編成の分割可能化工事は実施しないということで今後の運用が注目される。

各駅探訪&乗車記(仙人峡~角夜山)

仙人峡駅は1面1線ののどかな駅で区間快速、快速はともにこの駅を通過する。以前は貨物用の待避線があったが今は雑草が茂り面影はほぼ見られない。仙人峡の名前から想像する山深い峡谷などは駅周辺にはなく、小高い山が両脇にあるのみである。その山も近年では宅地化が進み、駅周辺にも新興住宅街が見受けられる。
駅のホームに降り立つと花壇やプランターがたくさん置かれている。これは地元の方が手入れしているもので花の季節になると色とりどりの花が咲き乱れるという。今回訪れた時はまだ冬だったので花の姿が見られず残念だった。また花が咲く時期に訪れたいと思う。
駅舎は木造の小ぢんまりしたもので駅員は配置されていない。ただ、朝夕の時間帯は駅前のタクシー会社の方が切符を販売してくれている。駅舎の傍には大きな桜の木が植えられていて春には潮巻鉄道の有名撮影スポットとなる。これもまた訪れた時はまだまだつぼみは固そうであった。
駅前に出るとロータリーはなく、道幅が少し広くなっている道路が横切っていた。左手には前述のタクシー会社があり、社員が一人車を一台洗車していた。その隣はコカコーラの看板を掲げた古い商店があった。それ以外は住宅があるのみで非常にゆっくりとした時間が流れているようだった。駅前の道を南に向かって歩き、線路を渡って東へ歩くと二川を渡り、大きな屋敷が点在する地区に出る。ここはその名も屋敷町と呼ばれる地区で、昔はすぐ北にある鯖川城主池田秀信につかえる家臣らが屋敷を構えていた。その家臣の一人である富樫清正の屋敷は歴史資料館として開放されており、当時の暮らしなどを知ることが出来る。
資料館脇の道を北に向かって歩くと鯖川城址に通じる。標高140mほどの山を登ると城址公園がある。天守閣は明治期に取り壊され現存しないが、傍に二の丸をイメージした3階建ての資料館があり、ここでは城のことについて詳しく学んだり甲冑の試着が出来る。3階の展望台では南に鯖川市街を眺めることができ、天気のいい日には名護屋のセントラルタワーも眺めることが出来る。城址公園は市民の憩いの場となっており、犬の散歩や、公園の周りを一周する道は適度な高低差があることもあってジョギングする人の姿も多く見受けられた。
1時間ほどの滞在ののち再び駅へと戻る。ちなみに城址公園からは仙人峡の一つ先の角夜山駅にも通じる道もある。こちらは仙人峡駅へ向かう道より500mほど長い。
駅に戻るとつぎの電車まで20分ほど時間があった。小さな駅舎の中には窓口が一つ、6人ほどが座れる待合室があるだけで自動販売機などの類はなかった。時刻表は定期的に変わるので新しいものだったが、方面を案内する看板や改札と書かれた看板は年季の入ったもので昭和の時代から変わらない姿を見せている。10分ほど経つと踏切の警報音が鳴り始めた。ホームで来る列車を待っているとディーゼル機関車の警笛が短く鳴り、鯖川方から紫と青の潮巻カラーに塗られたDE10型ディーゼル機関車が姿を現した。機関車はもう一度警笛を鋭く鳴らすと、エンジンの音を轟かせながら仙人峡駅を通過して行った。機関車は後ろに14系客車を牽いており、中には乗客の姿も見られた。この列車は後日紹介する柿山越駅から分岐する以前紫雲山を越えていた旧線を登る「DL柿山登山号」で、11月と冬季(12月~4月)は不定期、夏季(5月~9月上旬)は毎週土・休日にJRから譲渡された14系客車4両と夏季には自社発注のトロッコ客車2両を増結して運転している。この列車は当線の赤字を防ぐため観光客を呼ぶために2005年から運行開始し、夏季は新緑ウォーキングイベントやハイキングに適したダイヤ(後日説明する)から乗車率97%(2011年)の高い水準を誇り重要な収入源となっている。しかし冬季は観光スポットが乏しく乗車率は79%(2011年)にとどまるそのため、鉄道会社は今年から冬季限定で飲食店と提携した柿山郷土料理の提供、柿山駅前公園でのかまくら祭りの開催、地元の古民家を改修し宿泊施設とし、雪景色と組み合わせて宣伝するなど冬季の観光客の呼び込みに力を入れており、今年は昨年を上回るペースで観光客が訪れている。
「DL柿山登山号」の通過後しばらくして再び列車がやってきた。これが次に乗る10時13分発1000系普通 桐山行だ.
乗り込むと乗客の姿はまばらでこの時間帯の6両編成は輸送力過多に思われる。1000系は全て6両固定編成で分割はできない。最近になって付随車を2両抜き、4両にし、付随車は電動車化先頭車化した上で500系を置き換える、または付属編成とし朝夕のみの稼働させるという噂が出てきた。500系はもともと3両の編成を2編成つなげて6両編成としているため分割併合できる構造となっているが3両での運用は存在しない。そして新たにデビューする2000系は6両で登場しており今後の編成両数の変更は予測することはできないが、データイムの運用は短編成での運用が望ましいことは明らかである。
などと考えているうちに隣の角夜山駅に到着した。


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